こんにちわたいらです。
大企業での黒字リストラや早期退職制度が当たり前になり
年功序列、終身雇用が崩壊した今、学歴は不要なんじゃないか?
webでも実生活でもしばしば話題に挙がるこの件について
偏差値70ちょいちょいくらいの中高一貫⇒早稲田政経3年で中退という
一生親に頭が上がらない学歴を誇る私めが考察してみます。
ちなみに小学2年生から学習塾通ってました父ちゃん母ちゃんごめんなさい。
結論から言うと、
- 中学高校までは可能な限り高度な教育を受けるのがベター。
- 大学は「大卒」の肩書きを目的とするなら圧倒的に不要。
実体験を元に理由を解説していきます。
1. 中学高校までは可能な限り高度な教育を受けるのがベター。
【小学校での勉強は一般常識】
算数、国語、理科、社会。これらは学問云々より
一般常識、素養として大人になってから真価を発揮する能力です。
特に算数と国語は中学校に入ってからではたぶん遅い。知らんけど。
例えば2桁 × 2桁の暗算ができるかどうかで数学問題の処理スピードは圧倒的に差が出るし
文章は読めば読むほどシンプルに読解力と文章力が身に付きます。
算数と国語は両方できないと何を学ぶにしてもネックになり得ますから。
そして小さい頃から「おべんきょう」をある程度習慣づけておくことで
感覚に依存しない論理的思考力や能動的に学習するクセがつきます。
人から言われたことを鵜呑みにする前に一度立ち止まって自分で考える。
生きていく上で必要だと思ったスキルを自分で見つけて学習する。
これらは大人になってからも非常に重要な「習慣」となります。
【中学・高校の仲間は「環境」そのもの】
偏差値30からの人生逆転劇なんてほぼないです。
映画やらドキュメンタリーのネタになるってことはほぼないってこと。
もちろん偏差値が全てだなんてことを言うつもりはないのですが、
周囲の仲間達が何かしら優秀であれば本人も自然とそれに引っ張られます。
実際に私も中高からの友人がいたことで何度も助けられました。
「良い」とされる中高には「良い」生徒たちが集まりがちだから
本人にとって「良い」環境が形成されがちって話です。
2. 大学は「大卒」の肩書きを目的とするなら圧倒的に不要。
【Fラン大学はお金の無駄】
これちょっとキツい言い方かもしれませんが事実です。
これまでは「大卒」であることに下駄を履かせる給与体系が一般的でしたが
昨今の法改正からも給与が能力、成果に依存する傾向は間違いなく進みます。
大卒しか採用しない、という企業がそもそも減っていくでしょうし
一定の給与水準のある企業へ採用させる力がない大学はオワコンになります。
【その他の大学は?】
言わずもがな「医者」「弁護士」といった国家資格を取得するための大学進学は
ほとんどの場合その費用を回収できるので大いに意味があります。
また、偏差値60以上くらいの大学も先述と同様に
「周りが優秀」であることと、優良企業への就職率を買うという価値はあるでしょう。
難しいのがCランクあたりの大学ですよね・・・
これは本人が学ぶ意識を強く持っているかどうかがとても大事な気がします。
「やりたいことを探すために大学に行く」とか
「就職する、大人になるまでのモラトリアム」なんて呑気なこと言ってるなら行かない方が吉。
まとめ
いずれにせよ成果主義・能力主義は確実に進んでいくでしょうから、
闇雲に進学するよりは、能力と行動力を身に付けるためのプロセスを重視すべきです。
一方で小さな頃から「学び癖」「考え癖」を染みつけるため、
また周囲の人的環境を整えるための学歴はこれからも大きな意味を持ち続けると思います。
私自身は中学校のお受験と、その後の仲間達から得た物はとても大きかったので。
最後に念のため。人の幸せは人それぞれです。
楽しく稼ぐ、好きなことで稼ぐ、いっぱい稼ぐ、人の為に仕事をする。
学歴がそのための手段であると考えれば個人毎の正解に近づけるのではないでしょうか。
でわでわ